今月、あまりにもショックなことが起こりました。
世界中でトップニュースになりましたが、パリのノートルダム大聖堂(寺院)の火災です。
15日に大火災が発生し、16日朝に鎮火するまでフランス人は現場やTVなどで見守ったということです。
日本時間では夜中に発生したので私は寝てたのですが、なんとなくいつもより早く目覚め、iPhoneを見やると元パートナーからwhatsappにメッセージが来ていて、慌ててTVをつけると信じがたい光景が!
あまりにも衝撃的でした。
尖塔が焼失してしまったノートルダムの今の姿
その元パートナーから送られてきた写真です。



あまりにも無残…改修工事用の足場だけ残り、あの象徴的な先頭が焼失してしまいました。あのノートルダムがこんな姿になってしまったとは。正面入り口の方はどうにか保っているようですが、少し横に回ると、あまりにも変わり果ててしまいました…
パリに住んでいた私が思う、ノートルダムの存在感
これは、本当に説明し難い大きさだと思います。
日本だと何が燃えた感じなのか、と訊かれましたが、正直言ってないと思います。
日本にはもちろん、同じように貴重な建築物がありますが(法隆寺など、そうですね)、東京という首都にあって、平安末期から鎌倉初期に渡って建立され、景観的にもシンボルになっているというようなものはないです。
パリにあまり馴染みのない方は、パリのシンボルはエッフェル塔や凱旋門を浮かべる人が多いのですが、私はノートルダムだと思いますし、私の周りのパリジャンやパリ在住の人はそれに同意します。
それは単純に古さだけではなく、まずシテ島というパリの中のパリにあること。
そもそも、パリというのは中世ごろまではこのシテ島とサン=ルイ島を中心とした小さい区画でした。だからノートルダムというのは宗教が非常に重要だった時代にあって、文字通りパリのシンボルだったのです。
そして観光なら中に入らずとも、絶対ノートルダムというのは見に行くところだと思いますし、住んでいても、パリジャン、パリジェンヌにとっても、セーヌ川沿いを散歩しながら見たり、かなり馴染んでる、当たり前にそこにある存在だったのです。
フランス革命時に大きなダメージを受け、戦時中はナチスのパリ壊滅計画に脅かされ、どうにか生き残って来たノートルダム。
そのノートルダムが焼け、あのような姿になるとは信じられないことでした。
あまりにも何気なく存在してたので、通りがかるたびに撮影してもいなかったのですが、今回、iPhoneで撮影して来たノートルダムの姿をupし、偲びたいと思いました。
2013年7月、850周年を祝っていたノートルダム
2013年、私はイングランドに留学中だったのですが、ほとんど授業は終わって、あとは論文を提出するだけ、という段階にあってパリまで旅行に来ていました。
ちょうどこの時は850周年の年で、正面入り口には何か広場にテントとか色々設えられていました。

大聖堂の横にある、「シャルルマーニュの騎馬像。
本当に「そびえてる」という風格。

セーヌ川の方に回って撮影しました。

この光景です。こんな風にセーヌ川沿いを歩きながら見えてくるのがノートルダムの姿だったのに。

中国人かな?結婚写真の撮影してましたね。

かなり行列してたので中に入るのは諦め、ひたすらこのゴシック様式の精緻な作りに見入っていました。

2014年12月のノートルダムの鐘の音。
2014年の12月のカメラロールにもノートルダムが出て来ました。
27日なのでノエル(クリスマス)直後。ツリーがありますね。
そして日が暮れていくのセーヌ川を歩きながら

ノートルダムの鐘の音を撮ってました。
時刻になれば、普通に鳴り響くものだと思っていましたね…
2015年12月のノートルダム。冬の夕暮れ時の美しさ
1年ぶりに撮影しています。(Photoの見落としがあるかもだけど)
こちらはパレ・ド・ジュスティス(司法宮)とその隣はノートルダムじゃなくてサント・シャペル。

大体いつもシテ駅で降りてたので、まず目に飛び込んでくるのがこの光景です。
そしてノートルダム。
冬にこの光景眺めるのが大好きだったなあーー
2016年1月。いよいよ中に入り、パイプオルガンの響きを聴く
といって、この時まで中に入ったことなかったんですよね(汗)
でも、元パートナーのお父さんが、たまにはこの東洋人の子にパリ案内しよう、と思ったみたいで「冬なら観光客少ないからすぐ入れるんだよ!」と誘ってくれたのです(笑)
とりあえず正面から。この時も改修してたのか?クレーンが写ってます。
天井の高さに圧倒されます。
細部に至るまで完璧の凄み。

こんなのも飾られてました。何だったか…(聞いときます)
美しいステンドグラスたち
ごめんなさい。この時まだ、iPhone4sだったんですが、薔薇窓、下からだとどうしても美しく撮れなかった(汗)

しかし一つ一つ、本当に美しく、そして全てデザインが違う。これだけ見て回るだけでもかなりです。


鳴り響くパイプオルガン
パイプオルガンの練習中だったみたいで、鳴り響いていました。
実はそのあと、隣の病院に通院していて、ついに手術までしてました。
実はノートルダムの隣にはオテル・デュー病院というのがあって、直訳すると神の家病院ということになるのですが、通ってました。急に左目の視界に染みのようなものが入り、現地人である元パートナーの意見により、フランスの優秀な眼科医はここ!ということで通ってました。
この病院も起源が古くて、日本でいうなら7世紀、奈良時代にまで遡ります。ただもちろん火災などで当時の建物ではなく、現存の建物はナポレオン時代に再建されました。まあそれでも十分古いですけどね、日本の江戸時代ですし…

実は自分ではそれまでも時々出ていた飛蚊症(視界に黒い虫みたいな黒点がいっぱい現れる)がひどくなったものかな?くらいに思ってそんなに心配せず行ったら、いろんな光を当てられたり結構きつい検査で、眼科医が上司らしき別の眼科医を呼んだり、また眼科だけどさらに細分化してる別の専門医を呼んだりと、何だか5人くらいの先生に入れ替わり立ち替わり見られて、しかもフランス語で議論し始めてたので「あ、あれ?結構やばい?」と焦ってきました。
実はこの時くらいまで、私はUKの大学院疲れが長引いていて(笑)、フランス語の学校には通ってたものの、あまり熱心じゃなかったんです(笑)後に、それまで通ってた学校より高めの学校に移って、元を取らねばとちゃんと勉強した時期もありましたが…この時はまだあまりフランス語が聴き取れませんでした。
それで、パートナーやそのお父さんに付いてきてもらって、ということが続いたのですが、最初はレーザーで治る、という話になってたものの、悪化して緊急手術しました。
その時、こういう個室に入院しました。専用トイレも付いてて、ノートルダムの鐘が響いてきて、今思うとなかなか貴重な経験でした。完全看護で相方も夜7時くらいには帰ってしまい、看護師さんたちが「ごめんね英語喋れないの」っていうことで、何か言われてもよくわからず心細かったけど、「私、ノートルダムの横で寝てるんだなあ」と思ってたの覚えてます。

でもその後も当然通院は続いてました。
なので私にとってノートルダムは馴染みがありすぎる場所なのです。
そして2018年夏のノートルダム
2018年4月に、滞在許可証の期限と共に、日本に本帰国しました。
でも、私はこのブログで書いてる通り、欧州発で航空券を買ってきたので、4月に日本に帰るのが往路となり、復路のチケットが残ってたのと、マイルの有効期限切れの前に8月末にパリ発の特典航空券をゲットしてたので、6月にまたパリに舞い戻りました(笑)
それでパリ→南仏→パリ、と2ヶ月半過ごしたのですが、その時に撮ったのがこちら。
7月の上旬に撮って、
こちらは8月21日のノートルダム。

そしてこちらはまた数日後に帰国直前にセーヌ沿いを歩いていて撮った一枚。

近くで見上げる時もありますが、こんな風に「あ、ノートルダムだ」という感じの存在でした。
あのノートルダムがあんなに焼けてしまったのは悲しい…
復元には20年かかると言われてますし、慣れ親しんだようにはならないでしょうし、とても寂しい。
でも、それでも残った部分を基礎に、また新しいノートルダムの姿をみるのも歴史の1ページなのかもしれません。




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