プロフィール/ブログの主旨

プロフィール (2019年12月に大幅更新)

元はクリエイティブ寄りのマーケター。AdwordsやOvertureの分析と施策など。広告制作部門でディレクションをしてたこともあり。

Biography的な。

根っからのノマド体質がわかる子供時代

70年代後半に生まれた40代。羽田空港が地元と言える大田区育ち。両親は四国の愛媛出身なのですが、父は大学から東京に出てきて商社勤めの後、独立して輸入業を始めたので羽田に住み着くも、私が生まれた後は成田と往復してました…
住み続けた理由を聞いたら「高速が近かったから」というよくわからない答えだったけども(他にも高速入口もいっぱいあるのに…)、地方から出てきた、特に結婚で上京してきた母にとっては東京の土地勘がないので惰性で住んでいただけらしい。

そんな両親を持つものの、小学校の頃に「転勤族の子」という転校生がきて、1学期しかいない予定だし3年生の時点で5校目である、というのを聞いて、心からうらやましく感じていたのを覚えてます。当時から色んな土地を転々として暮らすということに憧れがあったと思います。

愛読書は家にあった少年少女文学全集の「クオレ」「飛ぶ教室」「赤毛のアン」「あしながおじさん」「小公女」「にんじん」といった類で、テレビやファミコンよりも、そういった本を読み耽る子供だったので、父親がアメリカと取引をして英語を話して仕事をしているのを見ている影響もあって、海外に行きたいとも思っていました。

しかし私立の中高一貫校に入ったものの、父親の経営が急激に不振に陥り、クラスメートみたいにホームステイとかさせてもらえず、不満に感じていた十代でした。

大学ではアラビア語を専攻するも(ゼミは中東現代史)

そんな海外への憧れを反映するかのように国立の某外語大へ(今は1校しかないですが、当時は大阪外語大が阪大に吸収される前でした)。センター試験の数学があまりにも不出来だったのでフランス語やスペイン語専攻だと足切りにあうかもと同じく国連の公用語のアラビア語専攻にしてしまったのですが、表向きの理由は「あの頃中東和平が注目されてて…」

しかし周囲のバイタリティ溢れる学友に比べて、アラビア語のあまりの難しさに卒業がやっとの学生生活を送り、優秀なクラスメートが外務省専門職とかJICAとかグローバル企業とかマスコミに入っていくのを世界が違うこととして見守るのみ。

法人向けITの分野でクリエイティブ寄りのマーケター

辛うじて就職するも、法人向けIT製品やサービスの広告記事をディレクションする、という職種で、その後転職を経てマーケターになっていくのですが、やはり法人向けIT。ディレクションとかマーケティングという仕事の流れそのものは好きでしたが、何しろ商材にそんなに興味が持てなかったorz

ちなみに発作的に退職したこともあったので、転職の合間に派遣社員も短期で何回か経験してます。

とりあえず英語は勉強する日々

出身大学から英語ができそう、と思われ(英語専攻じゃないし、英語専攻だとしても、うちの大学って英会話学校じゃないんですけどね…)、なぜかできないと「あの大学なのに話せないの?」ということになる展開なので、発作的に退職したりした合間に勉強してました。

まあ、今でもまだまだですが、とりあえずMBAに留学できる程度にはなりました。

実感として、英語への(時間的、金額的)投資は、ある水準にまで達すれば見合います。

イングランドにMBA留学。理由は「バレエをもっと見たかった」

日本で働く限り、大学を出て最初についた仕事が一生引きずるんだなと実感したので、なんかこうターニングポイントないかというのと、当時バレエを見るのにハマってたのでヨーロッパに住みたいというのを一気に叶えられるかと思いつきでイングランドにMBA留学。

本当はもっと違う分野(開発学など)に興味があったのですが、30を超えてたので、そこから大幅なキャリア転換はできないと思い、私の中でMBAが無難な専攻なのかな〜と思ったんです。今思えばふざけてますね。

当たり前ですがタフな毎日で過労で少し病みました(笑)元々経営学にそこまで興味があったわけじゃないのですが、まあ今思うと色々視点は変わりました。
論文の提出もdeferしたものの、とりあえずMBAは取れました。良い成績がついたのはBusiness Communicationという科目で、自社にとって不利な状況をいかにポジティブなPRに転じさせるか、という課題に添ったものでした。プレスリリース文を書き、ラジオ局やテレビ報道(大学にはそういう設備がありました!)でどのように取材に答えるか、というのを実際にやるみたいな。


学位授与式の時。

タフな毎日でしたが、ロンドンに出てはバレエは見まくりました。ロイヤルバレエだけではなく、夏は隔年でボリショイかマリインスキーがロイヤルオペラハウスに長期公演に来るので(東京だと数日だしガラが多いですが!)もうめちゃくちゃ幸せでした。

 

フランス人と出会い、パリに住むこととなる

とあるきっかけでロンドンの金融機関で働くパリ出身のフランス人と知り合い、UKのビザ切れとともに一旦日本に帰国したのですが、数ヶ月ごとにロンドンかパリに行って、そのまま2ヶ月ほど過ごすということをしてたので、フランスのビザを取得し、パリの彼の家に何年か住んでました。(フランス語学校に通うことによる学生ビザ→パートナーとしての滞在許可)

が、色々と文化的な無意識の壁は乗り越えられず、私もパリ症候群のようなところも出て(パリ愛してますけどね)、本人よりもその親の悪気のないオリエンタリズムにも反発してしまい、喧嘩が絶えなくなり、別れて滞在許可更新できそうにないので2018年4月に日本に帰国しました。

喧嘩は絶えませんでしたが、感謝はしていて、今でも普通に時々whatsappで話す仲です。(たまにフランス記事に使用するための写真を撮ってもらってます)

現状。お仕事のご依頼、承ります

昔の仕事のツテで仕事の単発的な依頼などがあり、細々と収入はあったのですが、パリにいる間にその知人が異動になったり辞めたりなどしてしまい、案件が激減、今ここ状態になってしまいました。

今は海外在住時に知り合った人の単発的な依頼を受けてコーディネーターのようなことをすることもあります。

というわけで、お仕事のご依頼はコチラまで。

  • Google Adwordsの出稿(入札とコンバージョンまでのコスパを考えた最適なハンドリングをコピーライティング込みで)
  • 英語圏、フランス語圏へのリスティングの出稿(実際のコピーライティングはネイティブや同水準の人に依頼します)
  • 英語での問い合わせなどを含む、コーディネーター業務
  • 海外市場の分析・レポート作成(MBA的手法に基づき。英語にてデータ収集できる範囲ですが英語圏ではなくても対応可能です)
  • PR記事の作成(このサイトに掲載する場合は[PR]を明確に記述し、ステマはしないこととします)

他にも、上記のプロフィールなどから、逆に「こんなことできるのでは」というご提案などがありましたら、お気軽にお問い合わせください。

ただ、ご依頼の際は内容やお仕事の流れと、報酬額(例でも可)など具体的なところまで頂けますと幸いです。報酬に関しては最終的にはこちらの提示と交渉ということになります。

こちらの状況と判断により、お返事ができかねる場合がございますのでご了承ください。

*過去に返信を見送らせていただいた例

  • 事業者などがわからない状況で、「こういう仕事に興味があれば返信してほしい」
  • 商品(特に私が欲しいものではない)を無料で送るのでレビューを書いて欲しい(無報酬)

ただし、無報酬でも私が興味あることでしたらお請けする可能性はあります(ホテルに無料でご招待いただけるなど)。

このブログについて

2019年11月30日にフロントページをポータル化しました。

同時にプロフィールもこのように詳細に記述しました。ですから私の知人が読めば一発でわかります。

でも写真を中途半端にモザイクにしているのも、このブログの内容上、私と読んでいただく方の行動範囲が空港のラウンジなど、かなり被りそうなので隠させていただきました…

このブログは、「ANAの上級会員になりたい」という人たちに向けた、「資格条件を満たすための効率のいい旅程」などについてパリ在住ならではの視点で発見した情報を提供しようという主旨で始まりました。

というのも、毎週末「修行」と称して飛行機に乗り、当然観光する暇もなく空港に1時間滞在して帰ってくる…というようなことは否定はしませんが、多くの人にとってそれは現実的じゃありません。

なので、「海外発でルートを選べば、本数を少なくして取れるよ!」とお伝えしたかったのです。

私は修行などやらないでも日欧3往復と、東京石垣を2往復するだけでプラチナ会員→SFCをゲットすることができました。その経験と、日本在住でも可能だと思える旅程の提案をしています。

同時に、住んでいたフランスや周辺ヨーロッパを始め、最近はクアラルンプールやバンコク、サムイなどAirbnbに滞在したりしてノマド生活を始めているので、その情報などを書いています。国内は北海道や沖縄地方(石垣や八重山が多いですが、宮古も今後は書いていきます)を中心に、旅ログを更新しています。

最近では旅ログに重きを置いています。

正直に言えば、やはりANAの上級会員に関する記事の方がずっとアクセスも多いのですが、このジャンルのブログが沢山ある中で、自分なりにオリジナリティのある内容を書いていこうと思ったら限られますし、何しろこの世界は内容が変わりやすい。いわゆる改悪というものです。

例えば、ダイヤ、プラチナ、SFCの特典にあったプレミアムエコノミーへの無償アップグレード特典も廃止になりましたし、私がパリから日本に飛んでプラチナを目指していた時にはプレエコなら最安でもマイルもプレミアムポイントも100%の積算率だったのに、今はNクラスといって70%しかつかないのです。

あと、ポイント活動でのマイルに関しても、ソラチカルートが廃止など…

そうするとその度に過去記事に追記していかなければならないですし、過去に書いたことがもうあまり有益な情報ではなくなってしまう。

過去はこうだったね、という覚書的な記事でしかなくなるのですが、

何百年とそこにあるヨーロッパの観光名所の紹介記事にそういうことはあまりない(笑)

例外的にノートルダムや首里城の火事のようなこともありますが…

(鐘やパイプオルガンの動画あり)美しく、荘厳。パリのシンボル、ノートルダム大聖堂の思い出。
あまりにもショッキングなパリ・ノートルダム寺院の大火災。パリのシンボルはエッフェル塔でも凱旋門でもなくノートルダムだとごく自然に見ていました。当たり前に存在していたノートルダムが焼けて、あんな姿になったのは本当にやるせません。2013年から2018年までの間のカメラロールにポツポツとノートルダムの姿が残っていました。
【パリの象徴!】ノートルダム大聖堂の火災から4ヶ月…2019年8月の状態は?
今年(2019年)4月、世界的な大ニュースとなったパリ・ノートルダム大聖堂の火事。12世紀末に着工し完成してから800年もの歴史を刻む、あのノートルダムがあのシテ島に佇んでいるのは当然だと思っていた我々には非常にショッキングなことでした。火事から4ヶ月近く経ったノートルダムの姿を見てきました。
【首里城:前編】 沖縄本島に来たら必ず行くべき世界遺産!琉球王国の栄華を体感できる!
復元と聞いて、城跡にテーマパークのように建っているのかなあ、とあまり期待していなかった首里城。そんな考えを吹き飛ばす、当時の雰囲気を忠実に再現した名城でした。本当に異文化、そして別の王朝があったところなんだなあと実感します。一気にタイムスリップできる首里城のレポ前半です。

こうした旅ログも後から写真を引っ張り出して書こうにも細かい情報は忘れてるので大変なんですが、自分の復習にもなり、楽しんで書いています。

 

ちなみにこのブログはWordpressですが、ホスティングはMixhostを使っています。ロリポップから乗り換えたのですが、乗り換え時にWordpressの移行が大変でした。これからブログなどをやっていかれる方は最初からMixHostエックスサーバーなどを使った方が無難です。ただ、MixHostは最近短期間に数回障害があってサイトが表示されないことがあったので、エックスサーバーの方が無難かも。(この部分は、これを書いている2019年12月から半年間、障害がなければ削除します)