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【フランス/ルーアン】ジャンヌ・ダルクが火刑に処された場所、旧市街は中世〜近世の街並みがそのまま

フランス北部、ノルマンディーに位置するルーアン(Rouen)という街はご存知でしょうか?

ここは中世の古都であった時代を色濃く残している都市で、かのジャンヌ・ダルクがイングランドによって火刑に処せられた場所としても有名です。

ルーアン大聖堂は中世のゴシック様式建築でも代表的なもので、外観も内観も圧倒されるものがあります。

私はここに、2014年夏と2018年の2月に訪れているのですが、今回は2014年の時の写真でご紹介していきます!

 

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1431年、ジャンヌ・ダルクが火刑に処された広場

中世の雰囲気が強く感じられる古市場の広場

Place du vieux-marche、直訳すると「古い市場の広場」ということになります。

木枠の建築が忠誠を思わせますね。

実際マルシェもありました。

100年戦争で苦境にあったフランス軍の指揮官となり、勝利、奪還に導いた少女

そしてここが!ジャンヌ・ダルクが19歳にして火刑に処されたところです。

立て札にフランス語、英語、ドイツ語でそう書かれていました。

ジャンヌ・ダルクは世界史でも屈指の有名人物だと思いますが、フランスが劣勢になりつつあった百年戦争時、12歳で神の啓示を受けたといい、17歳にして王太子シャルル7世の信頼を得て指揮官となり、イングランドによって陥落寸前だったオルレアンを奇跡的に奪還します(そしてオルレアンの少女と呼ばれる)。そこから次々と快進撃。

現代より人が早く成熟する(ことが求められていた)時代だったとはいえ、しかも女性が今よりもずっと社会的役割において制限されていた時代に、農家の娘、それも17歳が軍を率いて勝利に導くってもの凄いことですよね。世界的な伝説の人となって語り継がれるわけです。

しかし、イングランドに捕らえられ、異端審問にかけられ、シャルル7世にも見捨てられ、ここで火刑に処されてしまいました。

ジャンヌ・ダルク教会

広場に面したところに、ジャンヌ・ダルク教会(Église Sainte-Jeanne-d’Arc)があります。

天井までの美しいステンドグラスはルネッサンス期のものだということです。

 

中世感あふれる旧市街

木枠の建築が立ち並ぶ旧市街。

このような狭い道幅なのも中世感がグッと感じられます。

大時計台通り(Rue du Gros Horloge)。お店やカフェが多い通り。ヨーロッパの旧市街の、古い建物と現代の店舗をうまく融合させるところは本当に感心してしまいますね。

今でも正確に時を刻むルネッサンス期の大時計

これはルーアンのシンボルの一つとも言える大時計です。16世紀に作られたものですが、今も正確に時を刻んでるとのこと。

 

時計の装飾にも目を奪われますが、時計台となっているアーチの装飾なども本当に素晴らしい。

中世〜近世が、この一帯に凝縮されてるという感じ。

尖塔の高さはフランス一番!ノートルダム大聖堂

ノートルダムといえばパリのノートルダムは2019年に大火災が起こってしまいましたが、こちらのノートルダムも12世紀の着工から何百年も経て16世紀に竣工して以来、度々火事の憂き目にあっているそうです。

2014年の夏の時点では、一部修復工事が行われていました。

…もうね、当時持ってたiPhone 4sのカメラの画角には到底入りきらないので、しゃがんで撮ったり、角度変えたり色々頑張ったの思い出します。

フランス・ゴシック建築の代表とも言われるこの装飾。

19世紀印象派を代表するモネもこの大聖堂を描きました。

中に入ると、天井の高さに圧倒されます。

聖歌隊の壇の近くに墓になっている場所があって、これはノルマンディー公でもあったイングランド王リチャード1世。

何しろ目を奪われるのはこちらのステンドグラスです。13世紀のものということで、これは本当にいつまでも見ていられる美しさ、そしてこのスケール。

パリのノートルダム

(鐘やパイプオルガンの動画あり)美しく、荘厳。パリのシンボル、ノートルダム大聖堂の思い出。
あまりにもショッキングなパリ・ノートルダム寺院の大火災。パリのシンボルはエッフェル塔でも凱旋門でもなくノートルダムだとごく自然に見ていました。当たり前に存在していたノートルダムが焼けて、あんな姿になったのは本当にやるせません。2013年から2018年までの間のカメラロールにポツポツとノートルダムの姿が残っていました。
【パリの象徴!】ノートルダム大聖堂の火災から4ヶ月…2019年8月の状態は?
今年(2019年)4月、世界的な大ニュースとなったパリ・ノートルダム大聖堂の火事。12世紀末に着工し完成してから800年もの歴史を刻む、あのノートルダムがあのシテ島に佇んでいるのは当然だと思っていた我々には非常にショッキングなことでした。火事から4ヶ月近く経ったノートルダムの姿を見てきました。

 

サン・マクルー教会とその周辺

大聖堂の裏手にいくと、これまた象徴的な外観のサン・マクルー教会(Église catholique Saint-Maclou)が見えてきます。こちらも当時、修復工事が入ってました。

 

こちらは1437年着工、1517年に完成したそうです。フランボワイヤン・ゴシックという建築様式になっています。

周辺の中世感がすごい。

ペスト犠牲者の納骨堂、後に美術学校(2014年移転)

L’aître Saint-Maclou (サン・マクルー納骨堂)は14世紀(1348年)、ヨーロッパで猛威を振るったペストによる死者の納骨堂でしたが、現代では美術学校として使用されていた場所です。

よくみると、人骨をモチーフとした装飾がところどころに…

中庭。

奇しくも、ここを校舎としていた美術学校が別の場所に移転した時でした。この垂れ幕は直訳すると「君は決して何も言わない(you never say anything)」なのですが、それと関係あるのかな?

 

サン・トゥアン教会

また歩いていると、サン・トゥアン教会(L’abbaye Saint-Ouen de Rouen)という中世期の教会が。

こちらも着工が1318年ということで非常に古い。ベネディクト派修道院の教会ということです。

ゴシック教会のファサードの装飾はどれだけでも見ていられる。

 

リセ(高校&プレパ)や裁判所の建物もいちいち古く荘厳。

ここはリセ(高校)なのですが、当時のパートナーはここのプレパ(高校の上、大学の前期課程に相当する学校で、グランゼコールという上級学校<大学後期〜修士に相当>への入試に備えるガリ勉の学校…とでも言いましょうか…フランスの制度は特殊です)に行ってたのです。

パリの名門プレパにも受かってたらしいのですが、当時父親がル・アーブルに転勤になっていたので、ここを選んだとのこと。

何と!最近も星出さんと一緒に宇宙に行ったトマ・ぺスケとここで同級生なのです。しかも所属クラスが自分の方が格上だったと当時めちゃくちゃ自慢されました…(グランゼコールは分かれた)

それにしても、この門構えは凄い。当時は学校の時間含めて1日12時間勉強してたそうです。それがバカンスさえ返上で2年続く(ついていけない人は大学に編入していきます)。

プレパに通っている間は「フランス人らしい生活」は望むべくもないとか。

 

これは多分…裁判所。

 

これから3年半後、冬に訪れている時のことも後日記事にしたいと思います(二つ星レストランに行った時のレポです!)

 

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フランス北部
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マダムSFC改め、水野珠子と名乗ります。本名じゃなくてペンネームです(みずたまと略したい)。
イングランドとパリに住んだことあるアラフォー。まだパリにいた2017年に一時帰国を3回とそれに合わせて石垣2回行ってANAプラチナ到達、そしてSFCゲット。
ステータスのために飛行機に乗る「修行」はしない主義。必要な分だけ乗ります。
40代として辛くない程度にバジェット旅が多いです。
ヨーロッパだけでなく、最近は東南アジアを中期滞在していくノマド経験も共有していきます!
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