今回ついに、モン・サン=ミシェルについて書きます。
もう、あまりにも有名ですよね。そして特に日本人の間で大人気の観光地だと思います。
というのも、この記録はもう5年ほど前になってしまうので、今は状況が変わっているかもしれませんが、フランスのパリはもちろん、各所でもう昔みたいに日本人がいっぱい、とか、フランス語→英語→次は日本語?!みたいな状況は全くなく、今ではもちろん中国人や中国語の時代、そして日本人より韓国人の方が多い?という感じがしていたのですが、
世界遺産には第2回目の1979年に登録と、世界遺産としても老舗です。(この時登録されたのは他にピラミッドなど)
そんなモン・サン=ミシェルに行った時の記録です。
駐車場からシャトルバスで移動
我々は車で行ったのですが、駐車場は3kmほど離れたところにあるため、駐車場からシャトルバスで移動しました。
シャトルバスは無料です。
このように駐車場が離れているのも、19世紀に作られた地続きの道路が潮流を変えてしまったため、本来の姿に戻すべく道路を取り壊し、橋を新たに作ったからです。
橋ができたばかりの時のモン・サン=ミシェル
シャトルバスから降りて、この光景。
も〜、そびえ立つ威風堂々とした、このモン・サン=ミシェルですよ!修道院とか建物とか島とか、そういう言葉では括れないですね。唯一無二。
この時は橋ができたばかりだったので、まだそうした工事の足場やフェンスなどが残されていました。
おそらく今は片付けられていると思います。
門を潜ると街があった!
モン・サン=ミシェルは10世紀にノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を島に建て、それ以降何度も増築や改築が重ねられ、13世紀に今のような形になったとされています。
10世紀から13世紀か〜、日本だと平安時代から鎌倉時代になりますね。その時代にこの巨大な建築物というか建築物、じゃ済まない、こんなものを作るって…と、やはりスケールの違いを感じてしまうのですね。
そんなことを思いつつ、この重厚な門を潜ります。
そして潜ると…
これは…「街」ですよね?!
日本語が!日本語がきてますよ!
これ、結構前なので最近はもう取って代わられてるかもしれませんが…
ちょっと拡大しないとわかりづらいですが、
このお店のメニュー、まずフランス語ですよね。で、そこに英語、スペイン語、そして日本語の併記となってました!!!
そしてそんな「街」の様子。
ね、普通に「街」の雰囲気でしょう。
こうなるともう、「建造物」じゃ済まないスケールというか。
ちなみにここにはいくつかホテルがあります。
→Agodaで見る
→Expediaで見る
→Hotels.comで見る
一回泊まってみたい気もする。
教会堂のある頂点に向かって上る(登る?)
とにかく記憶してるのは
ってことです(笑)
そしてここから見える景色。
この遠浅の干潟。この日は朝一で来たのですが、こんな感じです。
いよいよ教会堂の中へ!
カロリング朝の様式(ゴシック)である教会堂(大聖堂)。モンサンミッシェルのクライマックス、まさに頂点ですね。
教会堂の内部に!
中世を思わせる石材の入り口ですね。
やっぱり圧倒されるのは、天井を見上げている時ですね。
どうしたら10~13世紀にこんな建築が可能なの?と驚くばかりです。何しろ、頂点部分ですからね。
ここまで建築資材を持ってきて、建てて…って凄すぎませんか?
ステンドグラスは後世の嵌め込みだと思いますが、その大きさにも注目です。
回廊部分
モン・サン=ミシェルで印象的な場所の一つに、この回廊部分があげられると思います。
ここから眺める周囲の干潟も幻想的でした。
まだ午前中だったのですが、少しずつ干潮に向かっていってます。
この回廊部分でちょっと思い返したのは、

あちらは更に古い教会ですが、中世フランスの教会堂に作られる回廊の様式なのでしょうかね。
修道士の食堂など、モンサンミッシェルの内部探索は続く
また干潟を眺めつつ。
で、こちらは修道士たちの食堂。
テーブルと椅子がこんなに広い空間の窓際にあって、何でそんなに離してるんだろう?という感じだったのですが、修道士の食事というものは、会話をしないそうなんですね。
ちなみに一般フランス人にとっては食事中はむしろ会話しなきゃならないみたいなんですけどね…(特に晩ご飯。そして彼らは夜7時半以降じゃないと決して食べません)
その食堂の窓です。
長細い窓がこうしてずらっと並んでいました。
こちらが修道士の仕事部屋だったかと。
そして建物の外を出て順路を辿っていきますと
地下?になるのでしょうかね。
礼拝堂ですね。
少し閉塞感のある空間が続きました。
こちらの大車輪は、モンサンミッシェルが監獄として使用されていた時代(18世期終盤、フランス革命後から1863年までの80年ほど)に、囚人が中に入って車輪を回し、物の運搬に使われていたようですね。ただしこれは復元とのこと。
その大車輪からつながっていて物を運ぶ鎖ですが、そこからも干潟が見えます。
さきほどより下の方に来ているのがおわかりでしょうか。
地下はもっと色々広がっていました。
日本で、これだけの歴史を誇る建造物(というレベルではないけど)で、これだけの規模を誇るものってないですからね…
グルグルと下がりつつ帰途に
とりあえず内部を一通り見学した頃、外に出て出口に向かっていくのですが、それもまたかなり長いわけで、この巨大なモンサンミッシェルをまだまだ堪能することができる道のりです。
イングランドとの戦争時にはここから大砲を撃ってたとか。
カモメと大砲。
966年から1200年代にかけて、少しずつ増築されていったそうです。
どこを向いても、どこに視線を投じても、圧巻です。
何度も言うけど、日本は現存する「旧市街」というのも大規模なのはあまりなくて、古い建物と建物を移動という感じでしか残っていないので、この規模感が日本人を魅了するのかなという気がします。
百年戦争の時は、このモンサンミッシェル自体が要塞となっていたそうです。イングランド側についたブルターニュ王国と、ちょうどその国境にありました。
修道院でカトリック巡礼の聖地というだけではなく、要塞、監獄などの歴史もあるモンサンミッシェルです。
北フランス、ブルターニュやノルマンディーというのは、こうした木組みの建築を多く見かけます。
これはイングランドにも時々見られるもので、文化の融合を感じるところです。(ドイツでも時々見ますね)
ここらへんのお店ではそこかしこに日本語がありました。
もう5年経ってるので、状況変わってるかもしれませんが、本当に日本人が多かったです!
既にフランスの観光客で目立つ東アジア系というのは中国人や中華系なのはもちろんですが、韓国人も日本人より多く感じます。
なのに、モンサンミッシェルだけは日本勢力がまだまだ残っていました。
最初の「街」な通りに戻ってきました。
ちょうど馬が連なってるところに出くわしました。馬に乗って海を渡るツアーがあるとか?

名残惜しい思いでモンサンミッシェルを眺めつつ。
連れていってくれたフランス人に感謝です。
彼は「何で日本人はそんなにモンサンミッシェルに行きたがるの?もちろん行く価値はあるところだけど、あまりにあそこに集中しすぎてる」ってしばらく言ってました(笑)
うーん、何でなんだろう…
やっぱり潮の満ち引きによって孤島になったりする場所に、中世にあんなもんを建てた、ってところに感動を覚えてしまいますよね。
最後に眺めるモンサンミッシェル。
モンサンミッシェルへの行き方:バスツアーがオススメ!
パリからモンサンミッシェルは、
モンパルナス駅–TGV→レンヌ駅–バス→モンサンミッシェル
パリ(CDGやオルリー空港からも)–OUIBUS→モンサンミッシェル
という行き方がありますが、私がお勧めするのはバスツアーです。

個人で行くのに伴う煩わしさや不安(ストじゃなくても時々時刻が変更になったりするのがフランス…そういう時、フランス語できないと不安ですよね)もなく、またガイドさんついて説明してくれるのだからお得だと思います!
一度は訪れたいモンサンミッシェル、私もそろそろまた行ってみたいなあと思ってるところです!
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