前回、ハンブルクからベルリンについた日にブランデンブルク門のあたりを散策した時のことを書きました。

今回は、ベルリンに留学中だった森鴎外が暮らしていた部屋が、そのまま記念館になっている「森鴎外記念館を訪れた時のことをご紹介したいと思います。
その日の朝ごはん。
やはりドイツはパンが美味しくて、サンドイッチも美味しいです。
ベルリン中央駅からも歩いていける!森鴎外記念館
ここは森鴎外がベルリン留学中の、最初の滞在先だそうです。といってもドイツ生活はもう3年ほど経ていたので、ある程度慣れていたのではないでしょうか。
ベルリン中央駅(Berlin Hauptbahnhof)からは徒歩12〜13分ほど。
結構街中にあったんですね。
ここで森鴎外は衛生研究所でコッホという人に師事しているようです。
稀代の秀才で日本国の未来を担っていた森鴎外
森鴎外というと文豪としてのイメージがあまりにも強いですが、この時代、もちろん文学的な見聞のために留学していたわけではありません。この時代、私的な留学はないですから😓
近代国家を目指していた日本が、軍医として陸軍省に所属していた若き鴎外(本名は森林太郎)に、ドイツ帝国陸軍の衛生制度を調べるよう、ドイツ留学を命じたのです。まだ二十歳でした。
現在のような学制が確立していなかった頃とはいえ、これは飛び級に飛び級という形で現在の東大医学部の前身にあたる学校を19歳で卒業していたことによります。いくら入学年齢の規定などが甘かったとはいえ驚きの早熟ぶりだったことが伺えます。卒業時の席次も秀才揃いの中、71人中8番でした。
それも、父のように医師になるとも強く考えていたわけではなく、在学中から文学的な興味を追求していて、しっかり医学を優秀な成績で修めています。結果的に陸軍に入賞した鴎外ですが、ヨーロッパでの経験が文豪森鴎外の誕生に寄与したと言えるでしょう。
ベルリンに来る前にライプツィヒやミュンヘンでも著名な研究者に師事していたそうですが、このベルリンは「舞姫」の題材になったドイツ人の恋人ができた地でもありました。
こちらが入り口。集合住宅の入り口の一つ、といった感じです。
舞姫の1節?
1階から2階に上がる階段のところには舞姫の一節がありました。横に一行で描かれてるので画角に入らなかったのですが…
げに東に還る今の我は、西に航せし昔の我ならず、學問こそ猶心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、人の心の頼みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ變り易きをも悟り得たり。
舞姫は青空文庫で読めたりもするので、是非。私もこの記事を書いていて、久々に読んでみたくなり0円でダウンロードして今読んでます。正直、女性としては少し引っかかる話ではありますが、まあこの時代…ですかね😑
玄関から階段の方はこんな感じ。やっぱりドイツとかオーストリアとか、ドイツ語文化圏っぽい色合いと装飾!
和室も設られてました。おそらく実際に鴎外が作ってたわけではないでしょうが…(当時のことを考えると無理ですよね)。日本人以外の人への日本紹介も兼ねているのでしょう。
こちらでは自由に休憩できるようになっていました。
確かかかっている書は鴎外のものではなかったはず…
もうかなり前で記憶が曖昧です。
森鴎外の自筆の書などが見られる
こちらは舞姫の書き出しですね。森鴎外林太郎著と書いています。
こちらは確か、長女の茉莉(マリ)さんや、次女の杏奴(アンヌ)さんへのお手紙です。上の書も「本人の手によるものなのかな?」と感慨深かったですが、私は娘さんたちへの手紙に、より現実味を感じて、感動しましたね。
娘さんたちはカトリックの女学校で英語ではなくフランス語を選択して学んでいたからか、冒頭にBonjour、文末にもAu revoirって書いてあったのを覚えてます。鴎外もドイツ語だけではなく、当時の国際言語だったフランス語(過去形みたいですが学習中の身から主張すると現在も英語と同様、国連憲章の二言語のうちの一つです…)をかなり習得していたとか…
ところで、ドイツ人女性を描いた舞姫が有名なので、鴎外が実際にその女性と結婚した、と思っている人が結構いるのですが、彼女は日本まで追ってきたけど(飛行機なんかない時代を考えるとものすごいことですね)鴎外は日本人女性と結婚しました。離婚、再婚もしてるので長男と、他の子供たちとで、生母が異なります。
それで、鴎外が子供たちに、ゲルマン系の名前のオットーから於菟、フランス語のMarieから茉莉、フランス語のAnneから杏奴、ドイツ名のフリードリヒ→フリッツから不律、フランス名のLouisから類、と、彼らが明治時代に生まれてることを考えると、かなりのキラキラネームをつけてることは有名です。
彼らのお母さんは登志さんとか、志げさんなので、皆バリバリの日本人です。
よく、「キラキラネームをつけると親の知性が知れる」って言う人がいるのですが、私はそれを耳にする度に森鴎外のこと思っちゃうんですよね(笑)
だって知性とかいう次元じゃなく、国レベルの秀才かつ才能に溢れた人でしたからね…
当時の「文藝(改造社)」とか青鞜(女性活動家が出してた雑誌)とかあるのもすごい。あと、自紀材料っていうのは留学日記みたい。そういう書き方も常人には思い及ばないですよね。
当時を忍ばせるインテリア
寝室なども再現されていました。
日本ではなかなか100年以上前の一般住居というのは見られませんが、ヨーロッパでは余裕で残ってることがほとんどです。多くの都市が景観規制をしていますから、基本的に街並みを保管するようになっているからです。日本の建物は30年経つと価値がかなりなくなる、という話をヨーロピアンにすると、「?」と理解されなかったりします。
洗面器と手や顔を洗うための水入れが当時を感じさせます。
こちらはランプだったでしょうか。マイセン??綺麗な陶器です。
個人の住宅でしたので、限られたスペースではありますが意外と見どころがあって(私の場合は娘さんたちへの手紙ですね)、写真の時間を見ると滞在時間40分以上でした。
また、ヨーロッパ旅行となるとお城など王侯貴族の生活を見ることも多いですが、このように一般的な住居を見るのも心躍りました。
周辺はこんな感じ。パステルカラーの色違いの建物が並んでるのが可愛い。そういえばこの数日後、英国のブリストルで同じような並びを見て、”déjà vu”って感じでした…
まだまだベルリン探索は続きます…
泊まったのは
お手頃価格ながら、快適なホテルでした。
ところで私はこのようなKindle本を出しています。
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